少し長くなりますが、よろしければお付き合いください。
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2005年頃、人の話をちゃんと聴けるようになりたいと思い傾聴を学び始めました。
これまでの経験でわかってきたことは話を聴く練習は結局、最後は自分の心の声を聴く練習になるということです。
相手の気持ちをちゃんとわかろうとする人にはあたたく相手を受容し共感できる力が必要です。
そのとき聴き手の聴くテクニックは十分だとしても、もし聴き手自身の心がかたく冷たい人だったらどうなるでしょうか?
知識やテクニックだけではできません。
もし聴き手の心がやわらかくあたたかかったとしたら、技術や知識はあとからついてきます。
心が冷たい、かたいというのは簡単に言うと「自分が自分のことを責めている」状態です。
ですからあたたかく自分を受け入れらる人は他人をたたかく受け入れやすくなります。
あたり前ですね・・・。
でも自分の内面をあたたかく受けとめることは大変なので、どうしても自分のことはあとにして「他人だけ」あたたかく受け止めようとします。
それがムリなのです。
私は「傾聴は技術です」と常日頃からお伝えしています。
傾聴の技術は、心が冷たい人が温かいふりをして見せるための技術ではありません。
自分自身の内面を誠実にやり取りするための技術です。
「心にもないことを言うと、相手に何も伝わらない」だけでなく、「心にないです」がちゃんと伝わってしまいます。
あなたの心には何がありますか???
それを確認しながら練習すると技術、知識が身につきやすいだけでなく、聴き手であるあなた自身が自分に安心して聴けるようになっていきます。
私自信がそのようにして少し成長できた経験から、私はそう断言しています。
私にとって傾聴とは単に相手を楽にすることではなく「聴き手が楽になった分だけ、相手が楽にできる」技術なのです。
べつの言い方をするなら昨日と同じ悩みが同じ大きさであっても、精神的にしっかりと立っていられる自分づくりといった感じです。
この感覚を口で説明するのはたいへん難しいのですが少しでも伝わるように講座では意識しています。
自己犠牲ではなく相手と同じだけ自分が楽になれる!
これが私が感じている傾聴の一番の魅力です。
傾聴をお伝えし始めた2007年と違い、いまは傾聴を学べる場がたくさんあります。
いいことですね。
立派な先生もいる中であえて私が傾聴をみなさんにお伝えしている理由は、まさにこの事をお伝えしたいからです。
「誰かのために話を上手に聴けるようになりましょう」ではなく
「自分の心の声を聴けるようになると心が軽くなりますよ」なのです。
自分が楽になるために傾聴が役に立つ。 そして結果的に楽な人が聴いてあげるから相手の役にも立つという自然の順番です。
このことは一度聞いただけではよくわからないと思います。
私は思います。
自分のためがちゃんと出来る人こそが、他人のためをちゃんと出来る人だと。
なぜなら自分に体験のないこと、馴染みがない行動は他人にもしづらいのです。
たとえばハワイに言った経験がない人はハワイの絵をかけないのと同じで聴いてもらったよさを知らない人は本当の意味で聴くことは難しいのです。
そして、
あなたが一番話を理解してほしい人は誰ですか?
あなた自分自身でしょ!?
あなたがあなたの一番厳しい批判者だったらどうなるでしょうか?
自分に使いなれた方法が他人にも出ます。
よい聴き手には自分自身の心の声を聴き感情クリアに言語化できるように、あたたかく自分を包み込めるような体験が必要です。
これはみなさんに当てはまることではないかもしれません。
でも傾聴を通してたくさんの人たちに会って見えてきたことは、自分のことを責めている人は他の人を責めやすい傾向が強いという事実です。
もしあなたが他人に怒りをぶつけやすい人だとしたら、その怒りは他人に怒っているようで実は自分に怒っているのかもしれません。
それはそれで仕方がないことなのですから無理になおすことはありません。
でももしあなたが人に寄りそって話を聴きたいのなら、お伝えしたいことがあります。
「自分に優しい人のほうが他の人にも優しくできる」と。
まだまだ傾聴が未熟で、日々反省ばかりですが少しだけ先に傾聴に出会った者として、あなた自身の心の声に耳を傾けられるお手伝いしたいと思っています。
あなたが楽になった分だけ、相手が楽になる助けが出来る傾聴を。
ご興味がありましたらぜひお越しください。